大西勝敬コーチ(町田樹の競技者としての最後のコーチ)

町田くんのソチ五輪からキスクラで隣にいたコーチなんだけど。随分体育会系な感じのコーチが大西勝敬さん(59)。2013年までキスクラの隣に居たアンソニー・リュウコーチも体育会系な感じの人だったけど。
前年2012年12月には町田くんが相談に行っていて2月から指導を始めていたのだが本格的には4月から指導してもらっていたそうだ。2012年全日本で失敗して意気消沈していた町田くんが「どうしたらいいでしょう。」と。


以下大西コーチのプロフィールなど・・・

 2014年2月10日 産経WESTより
関西で指導者を38年間続け、2度目の五輪挑戦となるコーチ。
大西さんは大阪市大正区出身。小学2年からフィギュアを始め法政大学時代には全日本3位に。フィギュア指導の第一人者で現在浅田真央のコーチを務める佐藤信夫氏の指導を受けていたが、大学卒業後はスケートに区切りをつけ銀行へ就職するつもりだった。
人生の選択を変えるきっかけは大学卒業前に観客として訪れた全日本選手権だった。関西勢が軒並み下位に沈む光景に、いてもたってもいられなくなった。大阪で指導者になる道を考えるようになり、銀行の内定を辞退。「どうせなら絶対日本一を育ててやろう。」と誓い、大阪に戻った。
子どもから大人まで教え子は数えきれない。熱心な指導が評判で生徒は近隣府県からも集まった。町田のように、悩んだ選手が助けを求めるように集まってくることも多く「駆け込み寺」と呼ばれた。
初めて五輪に挑んだのは1988年のカルガリー五輪。中学時代から指導した加納誠元選手と入賞を目指したが17位に終わった。当時33歳。「選手村で年配の偉い先生方が一緒で舞い上がっていた。選手にリラックスさせてやれなかった。」と悔いが残っている。
「町田は物怖じしないタイプ。カルガリーの失敗を教訓に、うまく滑らせてやるのが僕の仕事です。」
13日(日本時間14日)からの個人戦に向けて意気込んでいる。
「発する言葉すべてが弱気だった。」と振り返る。2013年4月面談で最終目標を紙に書かせたところ町田はためらうそぶりをみせた。最後には「オリンピック出場」と書いたが、積極的に目標に向き合っているようには見えなかった。
「このレベルなのにえらい弱気やし遠慮していた。目標も「できればソチ五輪に出たい。」とか「僕は(代表候補6人中)6番目の男」なんて言うしね。」と大西さん。伸び悩む町田の課題は精神面にあると思い「できればじゃ一生できへんぞ。有言実行で自分で責任を取る。それが男や。」と敢えて厳しい言葉を投げかけた。この言葉が町田を変えた。

団体戦直後の記事でしょうか。

2014年1月23日 大阪日日新聞より抜粋
当初町田の事を
「器用でうまいけれど淡泊な選手。」
と感じた大西コーチ。しかし時間とともにその印象はみるみる変わっていった。
「むしろ、不器用で濃い選手やね。」
当時、大きな壁にぶつかっていた町田が大西コーチのもとで急速に成長を遂げたことがうかがわれるエピソードだ。
手応えをつかんだのは9月だった。
「コンパルソリー(規定)のサークル(円)を描いている時に「自分の中で腰が止まるのが解るようになりました。」と嬉しそうに言ってきたんです。体幹が自分の位置で解るようになったとね。」
その後、町田のジャンプ全般は目に見えて安定していった。
「それからまた、スケーティングの理論を説明したりすると、すぐ上達していく。その変化にこちらのほうが驚いた。」
思う存分コーチングの腕を振るいシーズンを通した躍進を支えてきた。
当初「できればあと1年ほしかった。」と思った指導期間。それでも結果として五輪に間に合った。「それは町田くんの性格、真面目さがあったからこそ。」と断言し
「とにかく彼は真面目なんですよ。」と目を細める。
抜粋 以上

大西コーチが、コンパルソリー(規定)を勧めたのは氷に着いている脚以外の振り脚(フリーレッグ)に無駄な動きが多かったらしく一旦基本に立ち返ってみるということで・・・毎朝5時半くらいから2時間くらい修行のように規定練習(氷に図形を描く練習)をしていたとのこと。

町田くん本人が言うにはもともとフィギュアスケートをスポーツというよりエンターティメントとか舞台芸術のように思っているって言っていて
競技会に向かない性質の人らしい・・・けど

こういう 勝つ気でやれ!っていう先生に出会って
しかも 基本を教えてくれる 実力の先生に出会って
結果が出せて 本当に良かったんじゃないかな~~

その 大西コーチの所属する 臨界スポーツセンターの2013年5月5日GOGOフェスタ まだ本格的な指導が始まったばかりの頃
エキジビションで町田くんがスポーツ刈りで白いシャツで演じてる
『ロシュフォールの恋人たち』
近所のお父さんお母さん子ども達が「すごい!」だの「すげえ!」だの感動してます。

 コチラ
↓   ↓
https://www.youtube.com/watch?v=950zsxaVdA8


引退の事知らせていたのでしょうか・・・大西コーチ・・・ちょっと沈んでる・・・
e0291281_00412222.jpg
(画像お借りしてます。)


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Commented by j-suguita at 2015-02-09 23:15
なるほど!町田の「有言実行」ってここから来てるんだ。

日本でTVで観て、フレンドリ-なゆずのコ-チと違いなんか怖いかんじで選手を萎縮させるんでは..と邪推してたが、下衆のカングリだったようだ。

競技会に向かない性質の人...でもやはり、ともかく勝て!ってカンジで活動した2年は貴重だったかも。特にアメリカでは金メダル、その経験は彼の今後の活動の礎だろうね~
Commented by mo8_a29 at 2015-02-10 00:29
ゆずみたいにもともと強気で アスリート向きな人と
文化系だけど アスリートな人じゃ苦労の仕方も違うね。
前者はケガとの戦いとか。いかに難易度の高いものを組み込んでいくかって戦い。
後者は考えちゃうし何かダメージがあると時間がかかりそう。
だけどアスリートでの絶頂期とか体力は待ってくれないし。
23~24歳くらいで遅咲きとか言われて・・・いかにスケーターの寿命が短いかって思ったね。
町田くんあのプログラムで金メダルとれて良かったよな~~
by mo8_a29 | 2015-02-09 17:51 | 町田樹が現れた | Trackback | Comments(2)

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