ジョルジュ・モランディ展を観てきた。
2016年 03月 11日
「こういう絵好きでしょう?」と。
「好きですよ。私は。」
あんまり 聞きなれないイタリアの画家。
因みに今日行った展覧会に展示されていた。
1956年 『5つの器のある静物』エッチング(銅版画)
時折姿を見せる明治の煉瓦の壁。
鑑賞後に、丸の内北口の大ドーム内部をぐるりと囲むバルコニーに出られるよ!
再びべつのスーベニーコーナーに入り通り抜けて1階の駅へ出ます。
建物を自動的に堪能するつくり。
もともとギャラリーではないから導線がどうしても不自然なんだけど…
大丈夫です。出られます。
ところで
モランディは
こんなにストイックな感じの絵を描く人だけど、イタリアの人。
結構 尊敬された人なのだけど 全然旅もしないし 人と没交渉だった。
1890年生まれで
最初は、セザンヌを師匠と定めたらしいけれど…
結局 独自の道を貫いた。
生涯
印象派だとか
分離派だとか野獣派だとか
大きい流れがいくつもあったけれど
動ぜずに自分の流れの中で追求していった。
そういう モランディという人。
せっかく誰か来ても「今は製作中。」と頑なだったらしい。ストラビンスキー(音楽家)が訪ねてきたときも留守ということでストラビンスキーが手紙だけを残している。
アトリエにはたくさんの素材がひしめいていて
埃のかぶったもの
埃さえ素材・質感
透明な瓶に顔料を流し込んでつくった瓶
素材を配置していた位置を線でたくさん描かれたテーブル。
何年もあとに
同じ配置で 描かれていたりする。
違う光で。
違う方法で。
繋がっているけれど
丁寧に変遷している。
だからか
感覚が現在な気がする。もう1964年に亡くなった人なんだけど
今ここにいる人に何の障害も無くすんなり響く気がした。
「対象があるから 描けるんだ。」とのこと。
静物に影がある。
カラヴァッジオとかイタリアの古典的な絵に影響されているのかしら。(全然ちがうけれど)
そしてこちらは水彩。1956年『静物』
手前にある大きい器
金属の円筒の上にじょうごを溶接した自作の器。
繰り返し絵の素材になっている。
風景画もあった。
1959年『風景』
まるで 日本の禅画・水墨画のよう。水彩画。
モランディは、イタリアの聖堂の中にあるフレスコ画などを観て育った人なのだけれど
純粋に 自分の信じる絵画を追求する
稀な人。